小湊神社を先に紹介しましたが、泊まった宿「吉夢」のすぐ隣には、日蓮聖人の誕生を記念して生まれた地に建立された日蓮宗の大本山「誕生寺」がありました。
貞応元年(西暦1222年) 2月16日生まれだそうなので、まさに今年が生誕800年なのですね。
実は、日蓮宗のお寺にお参りするのはこれが初めて。
というのは、私の母が真言宗系の不動院の熱心な信者だったため、日蓮宗にはずっと苦手意識がありました。
私がまだ幼稚園の時の話です。近所の友達と死んだカナブンやセミなどを土に埋めて、手を合わせて「なんみょーほーれんげーきょー」とお経を唱える「お葬式ごっこ」をやっていました。(子どものときは変な遊びをするものです)
するとある日、家にひとりでいた私の前に母が怖い顔をして現れて「あんた何やってるの」と詰め寄ったのです。
何のことかキョトンとすると、「神様が、お前の娘が日蓮の経を唱えているって教えてくれたわ」「あんた南無妙法蓮華経っていってるの?」「ダメよ日蓮は」すごく怒っています。(実際はこれを宮崎弁で言ってます)
4つか5つの子どもですから、何を怒られているのか分からなかったのですが、とにかく「なんみょーほーれんげーきょー」は言ってはダメな言葉で、「なむあみだぶつ」と「なむだいしへんじょうこんごう」と言わなくてはならないということは分かりました。
叩かれそうになって(いや、叩かれたかも)泣きながら謝った私は、それ以来二度と「南無妙法蓮華経」と口に出すことはありませんでした。そもそもお葬式ごっこもやめました。それくらいその時の母は怖かったのです。
「神様が教えてくれた」とは、初めて聞く人には違和感があると思いますが、母は不動院で自分の口から神様の言葉が出て来るという神託をやっていたので、我が家ではわりと普通に交わされた会話です。
母はとにかく日蓮宗と創価学会を毛嫌いしていましたので、私も長い間「日蓮宗と創価学会には近づいてはいけない」と思い込んでいました。
今は違います。
分けのぼるふもとの道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな
一休禅師の作と伝えられる歌ですが、(もっと昔からあったという説もあります)
入り口はそれぞれ違っていても、最終的に目指すところは同じという歌です。
どんな宗教を信仰していても、もしくは無宗教でも、人として「幸せになりたい」「誰かを幸せにしたい」という気持ちは皆同じだと思います。
できた当時の社会や文化の違い、選んだ経典や教祖の考え方の違いなどで、宗派はそれぞれ違っていても、突き詰めていけば「幸せ」や「宇宙の真理」を求めて頂上を目指すという点では同じ、だからほかの宗教を否定することはない、と今の私は思っています。
(と言いつつ、たくさんの宗教の中には本当にアヤシイものも混ざっているかもしれませんから、それを見極める目や心も養いたいと思います)
そんなわけで、以前の私なら遠慮していた日蓮宗の誕生寺にも、今回お参りさせていただきました。
母が亡くなった年に解禁というのも、何かのご縁の気がします。
母ももうダメとは言わないでしょう。
ピンと張りつめたような清々しい気を感じました。
今まですみません。ご縁をいただきありがとうございますとお参りしましたら、
おみくじが九十九番でした。
ちょっとドキッとしたのですが、見たら大吉。
とても良い言葉をいただきました。
友人も大吉で、二人で記念写真。
油断と慢心を慎むべし
常に神仏にみちびかるるつもりにて心正しく進むべし