昨日は満月でしたね。
うちの庭からもはっきり大きな満月が見えました。
色々願って、色々誓いました。
お財布フリフリはしませんでした。
最近は、「私のこの身体が財布だ!」
の気持ちで(笑)、満月を見つめて深呼吸しています。
さて、昨日鑑定にいらした方から、
「神社に行っても願いが叶わないのはなぜ」という質問をいただきました。
これはその方自身の考えではなく、ご家族がそう言ってらして「どう説明していいかわからない」とのご質問でした。
占いではなく私の考えでお答えしたのですが、せっかくなので、ここで共有できたらと思い、またまた久々にブログ更新します。
まず大切なことは、天佑、神の御加護は『人の視点ではなく神の視点』 だということです。
例えば「あんなに合格祈願したのに第1希望のA大学に入れなかった」という人がいたとします。
それは、A大学ではなくてB大学に行くことで出会う縁や経験が必要だったということです。
また、単に「お金が欲しいです」 という人に天がお金の雨を降らすこともありません。
神社仏閣でいただける力は、あくまでもその人の努力の上での「 もう一押し」です。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉もありますよね。
この夏の高校野球は大変盛り上がりましたが(私も毎日見てました!)、きっとどの学校も「甲子園優勝」を祈願しているはずです。でも、 優勝できる学校は一つだけ。
神社に行って熱心に祈願しても、 勝つチームもあれば負けるチームもあります。
でも、いずれもその努力や経験は、必ず糧になります。 そのように神様は手配しています。
神社に行ったけど、思う結果にならなかった。
それは、神様の視点では「それが良い」ことなのです。
「まだそのことに取り組め」「がんばれ!見てるから」ということか、
場合によっては「 他にやるべきことがある」「別のステージがある」ということかもしれません。
人の魂は何百回何千回も転生していてーーーと、お友達のサイキックリーダーの透花ひろみちゃんが「比較的若い魂でも数百、平均して4000回くらい転生している」と言っていて、私もそれを信じていますーーーだれもが今世では、前世、 前前世の課題に取り組むようになっています。
知人に、本当に本当に子どもが欲しくて、 不妊治療などの大変な努力もして、 神社仏閣にも熱心に通いましたが、 どうしても子どもができずタイムリミットを迎えた女性がいました。
その後まもなく両親の介護が次々に始まって、「 今世の課題は子育てではなくて親を看ることだったのかもしれない」 と言っていました。
また、どんなに神社で縁結びをお願いしても、結婚のご縁がないという友達が何人かいます。
(って、これ読んで、あ!私のこと?とか思わないでねー)
私は、その子たちの今世の課題は結婚ではないのだろうと思っています。
現に彼女たちは、仕事や趣味の世界では、神様から良いご縁をたくさんもらっているように見えます。
(って、絶対結婚できないって言ってるわけじゃないからねー)
神社で願ったことが自分の期待する結果ではなかったとしても、
「ちゃんと見ているからもう少しがんばれ」でも、「そこじゃないからそのうち違う道が開けるよ」でも、いずれにしても 神の視点から導かれていると信じてください。
間違っても「神社に行っても叶わない」 とか言ってはダメ〜。
せっかくお参りしたのに、神様とのご縁を自分から切ってしまうことになります。
ちなみに私の周りで神社に行って運気を上げている人たちに共通するのは、「プラスの口癖」です。
「おかげさまで」「よかった」といつも言っています。
自分の思っていた結果でなくても、 別のことで良いことを見つけて、
「かえって良かった」 と、神様にお礼参りもしています。
ちなみに、本当に成し遂げないといけないことが叶わない時は、
「業が深いわー」とか「試されてるわー」とか言って笑っています。
プラスの口癖というと『叶うという字は、口にプラス』 と言われます。
(誰が言い始めたの?金八先生??って、多分違う)
こじつけのようですけど、実際、プラスの言葉が運気を上げるのです。
何が自分にとって本当に良いことなのか、大事なことなのか。
それは神のみぞ知るということで、お参りした後は全てお任せすればいいのです。
こちらの写真は、前回、ご紹介した大國魂神社の巽神社の狛犬さん。
実はよく見ると、小獅子がおっぱい吸っているんですよ。
かわいいですねー。