今日2月15日は、お釈迦様が入滅された日です。
私は近所の禅寺の坐禅会にゆるく(すみません)参加しているのですが、そこでは先週の日曜に「涅槃会」が行われました。
そこで、お釈迦様の最後の教え「自灯明・法灯明」のお話がありました。
師が亡くなったら何に頼ればよいのかと嘆く弟子のアーナンダに対して、お釈迦様の言葉。
「自己を灯明とし、自己をたよりとして他人をたよりとせず、法を灯明とし、法をより所としなさい」
かつて、この言葉を聞いたときの私は、
「そう、最後に信じるべきは自分自身のみ!」
と理解したのですが(それも間違いではないのでしょうが)、このたび少し違う考えが浮かびました。
「自己を灯明とし」
自己の中に灯明を灯す。
自分の中にある神仏を磨いて、それに従えと言われている気がしました。
始めの言葉は「衆生本来仏なり」で、最後の言葉は「この身すなわち仏なり」
です。
「白隠禅師坐禅和讃」は、漢文が多かった禅宗の典籍の内容を、庶民にもなじみのある日本の言葉で表したものです。わかりやすく覚えやすいのでご興味があれば、お調べください。
仏教では、人は誰でも「仏性」ありと言います。
お釈迦様の教えは、その仏性を、法(教え)をより所として磨き輝かせ、それに従えと言っているのでしょう。
そうなると「頼るべきは自分だけ!」ではなく、自分の中にある神仏を頼りにしていいのだと、心強い話です。
座禅をするのも、神社に行くのも、毎朝神棚に手を合わせるのも、自分の中にある神様と天をつなぐ行いです。
自灯明の灯を消さないように。