imacoco ~手相・九星気学・易占・マヤ

東京都府中市で手相鑑定・九星気学の運気鑑定・易占やマヤ暦を使った開運アドバイザーをしています。私自身、日々開運活動にいそしんでます。

風沢中孚(ふうたくちゅうふ)~真心があれば何ごとも通じる

またまた不思議な(というか易占らしい)出来事があったのでブログを更新します。

 

我が家に鑑定に来てくれた若い女性の二人組。

お友達同士で、どちらも「ベビ待ち」中。

子どもができるかを易占で占ってほしいとのことでした。

別々の時間で占ったので、お互いの占いの結果は知りません。

(後で話し合ったとは思いますが)

 

二人の「赤ちゃんできますか」という質問についての易占の結果が、なんと全く同じでした。 

「風沢中孚(ふうたくちゅうふ)」の2爻。

 「孚」という漢字には、誠実、真心、信じる、授ける、育むなどの意味がありますが、

その形は「雛の上に置かれた鳥の足」を示していて「抱卵」の姿です。「卵を孵す」という意味もあり、懐妊出産を占うに一番ピッタリの卦と言えます。

もちろん「元気な赤ちゃんが生まれるでしょう」という大吉です。

それが二人ともに続けて出るとは。しかも爻まで同じですからね。(384分の1です)

 

(追記)

対面時の易占は筮竹ではなくてカード(イーチンタロット)です。64枚のカードの1枚引きで卦を出してサイコロで爻を出します。

引くのもサイを振るのもご本人なので、お客様が後で話し合って、私が何かしたと思うことはないと思います。笑

 

 

風沢中孚2爻の【爻辞】

鳴鶴在陰  其子和之  (めいかくいんにあり  そのここれにわす)

我有好爵  吾興爾靡之  (われにこうしゃくあり  なんじとこれをともにせん)

【訳】

親鶴が山かげから鳴けば、その子がそれに応えて鳴く。

ここに良い盃がある。ともにこの酒を飲み交わそう。

 

 

赤ちゃんに恵まれて、ご夫婦で祝杯を挙げている様子が浮かびました。

お二人とも今年中に良い知らせがあるといいなと思います。

 

 

5月は八白中宮の重なる開運月です。

16日は日盤も重なる日で、私は1泊で新潟の彌彦神社に行ってきました。

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神苑では鹿がモミジを食べていましたよ。

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25日、28日も年盤月盤日盤が重なります。ここでも私は、新潟に行きます。

自宅からど真ん中の北を目指すと新潟しかないんです。笑

 

 

 

塩船観音寺 と「イライラは良くないよ」という話

ゴールデンウィーク10連休も終わりましたね。

前々から言っておりましたが、ゴールデンウィークの期間は土用にあたり吉方位の効果は半減、凶方位の影響は増大。

なので、いつもだいたい自宅から30㎞以内でお出かけしているのですが、

今年は5月3日に塩船観音寺に行ってきました。

ちょうど「つづじまつり」の時期で、とてもきれいでした。

 

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 5月3日は、例大祭柴燈大護摩の日で、灰の降りかかる中で般若心経と不動明王のご真言を唱えるという貴重な経験をさせていただきました。

目の前の炎がに見えました。 

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修験者たちの火渡りが終わったあと、一般の人も火渡りを体験できます。もちろん私も並びました。

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この写真は私ではありません。イメージをお伝えしたく、煙でよく見えない赤の他人様の後姿をお借りしました。すみません。

こんな風に靴を脱いで裸足で歩きます。

左右は煙がくすぶっているものの、真ん中の通り道は多くの人が踏んで歩いた後では熱くも何ともありません。

でも、そのお不動様の煙の中を歩くということが貴重なのです。

あ、もちろん、修験者が渡っている時は本当に熱そうでしたよ。

 

 写真の右奥のほうに足を洗う場所があり、お寺の人がひとりひとりに濡れタオルを貸してくださいました。

そのタオルは使い終わったらバケツに戻すのですけれど、それをまたすぐきれいに洗って、つぎのひとに貸して、と何人もの人がせっせと働いてくださっていました。

そんな中である女性が、

「なにこれ、ぜんぜん汚れ取れない!」「きたな~い。これじゃ靴下はけないわ」

と怒ったような声を出していました。

たしかに、塩で踏みつけられた泥は粘着質になっていて取れにくかったです。

が、火渡りの後の足の裏をピカピカにする必要はあるのでしょうか?

ありがたい修行を(ほんの少しだけですが)体験させていただいたのです。

泥土もお不動様とのご縁だと思って靴下の内におさめればいいじゃない。そう思いました。

  

また、御朱印待ちも長蛇の列になっていて、その中にはイライラした素振りで(体が揺れているんですよね)何度も前のほうをのぞきに行く人、「あとどれくらい待つの」「帰れないよね」と聞えよがしな会話をする人もいました。

 

せっかく観音様やお不動様とご縁ができたというのに「もったいない」と思いました。

イライラ波動は、他人も不快にしますけど、なにより自分を痛めつけるんですよ。本当です。

並ぶのが嫌なら、御朱印をいただくのをあきらめればいいだけです。

足を汚したくないなら、火渡りには参加しなければいい。

うっかり選んだ道が自分の期待通りではなかったとしても、口や態度には出さずに心の中で思うだけにする(そして何らかの方法で自分のご機嫌を取る)のが望ましい在り方ではないかと思います。

 

ちょっと偉そうなこと書いてしまいました。それも過去の自分の反省があってのこと。

イライラは自分自身を害す。自分の機嫌は自分でとる。

この二つは、自分の安泰のために、常に意識しています。

 

ちなみに塩船観音寺までのアクセスですが、河辺駅または東青梅駅から歩いて30分ちょっとです。

「つつじまつり」の期間は、河辺駅との直通バス(15分間隔)も臨時であります。

が、混んでいるとなかなか乗れないので、私は歩きました。

行きは東青梅から観音通りを歩いて行きましたが、とても気持ち良かったです。

天気が良ければ、歩きもおススメします。

 

 

 塩船観音寺

 公式ホームページはこちら

 http://www.shiofunekannonji.or.jp/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

令和元年の今月は開運旅行月

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令和元年 おめでとうございます。

昨日は氏神様の大國魂神社にお参りしましたが、大変な人出でした。

御朱印を求める人たちの列は、参道まで続いていていました。

「今日の大國魂神社は大変な人ですこと」

大変な人ですこと、人ですこと、、、

と、マリー・アントワネットになりながら(わかる人だけわかって)、

御朱印はあきらめ(並ぶのが苦手)、いつものお参りをさせていただきました。

 

奥の銀杏の木の周りがいつも以上に賑わっていて、多くの人がご神木からパワーをいただいているのだと改めて感じました。

 

ぐるっと回って拝殿に戻って来たら、御朱印待ちの人があまりに多いからか、

「書き置きで良ければすぐにお渡し出来ます」とのアナウンス。

それならば~と、イソイソといただきました。f:id:misaroundf:20190502173711j:image

令和元年の日付が眩しいです。

 

くらやみ祭のお守りもいただきました。

もちろんこれは化粧箱で、お守りはこの中です。

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令和の時代も安寧に暮らせるようにお祈りしました。

安寧。とても好きな言葉です。

 

そして、今日は令和最初の開運講座の日でした。

オヤツも令和づくし。笑

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令和元年開始月の今月(5/6〜)は、

八白中宮の年盤と月盤が重なる開運旅行月です。

六白金星の方以外はそれぞれ大開運吉方位がありますので、ぜひ吉方位旅行に出かけてください。

5月7日、16日、25日、28日は、日盤も八白中宮なので、特におすすめの日。

この日でしたら日帰りでも効果ありますよ。

 

本命星別吉方位一覧

一白水星 北・南

二黒土星 東

三碧木星 西

四緑木星 西

五黄土星 東

六白金星 なし (しいて言えば東南東)

七赤金星 東・西

八白土星 東

九紫火星 北・南 

 

私は今月は北を目指します。新潟一択です。笑

 

 

毒出しと「神様は いる」話

いよいよ平成も残り5日を切りました。

皆さま、いかがお過ごしですか?

私は「平成最後の吉方位旅行」と言って、今月は月盤吉方位の西に行きまくっておりました。

西の吉方位効果は、金運・社交運。

使えるお金が増える、楽しい誘いが増える、人との交流で運気アップです。

 

おかげさまで楽しいイベントも多く、旅行以外の日は友達と食べて飲んで喋って歌ってと楽しく過ごしておりましたら、今週の頭にいきなり胃腸に不具合が!

腹痛は無いものの、何か入れると胃が痛みすぐに下から出る感じ。

尾籠な話ですみません。月曜から、ずっと下っております。


今までも吉方位旅行に行くと帰ってから下すことがありました。

吉方位の祐気取りをすると、反動で体の中の毒が出て行くのです。

風邪のような症状の時もあります。

なので「毒出し」は良いのですが、今回は平成最後の浮かれ気分で予定を詰め込み過ぎていたので困りました。

ごく親しい友人との飲み会などは、途中退席したりキャンセルしたりしたのですが、中止できない予定もあります。

 

一昨日の夜の、かつて共に働いていた友人の退職慰労会は、前々から楽しみにしていましたからキャンセルも途中退席もしたくありませんでした。

当日のお昼、やはり食後に胃痛を感じトイレにこもり、神様に祈りました。

 


「神様、今日の夜の会は、久しぶりに会う友人との会食です。みんな楽しみにしています。私が具合悪そうにしていたら、その人たちに心配をかけてしまいます。絶対に途中で帰ることもできません」

と、こと細かに事情を切々と訴えて、「今夜の夜だけは、いつもどおり食べて飲んでできるようにお願いします!」

神様と仏様にお願いし、薬師如来様のご真言も唱えました。

......トイレで。

 


すると、なんということでしょう。

午後にかけて身体の調子がもどり、夜にはすっかり平常運転。

大好きな牡蠣もステーキもペロリといただき、飲み放題も通常ペースで参加できました。

胃も全然痛くない。トイレも呼ばない。

 

神様、ありがとう!!

改めて、神様はいらっしゃると感じた夜でした。

ごちそうだったので全部食べたいという願いもありました。

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 ちなみに、翌日、通常運転で食べたらやっぱり少し胃が痛んだので、よく噛んで少量ずつ食べるようにしています。

今回の毒出しでは、食事の仕方に対して考えるきっかけもいただきました。

よく噛んでゆっくり。

暴飲暴食はしない。

腹八分を心がける。

当たり前のことですけどね。

 

 

灌仏会〜人間に生まれたありがたさ

今日、4月8日はお釈迦様の生まれた日です。

私が座禅会でお世話になっている慈恵院でも、昨日(1日早いけど日曜だから)降誕会が行われました。

降誕会は「灌仏会」「花まつり」ともいわれます。

お釈迦様がお生まれになったとき、天上界から竜王が表れて香水を注いだという故事になぞらえて、香水に見立てた甘茶を誕生仏にかけます。

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こちら、慈恵院のホームページからお借りしました。

(この左のお花の手前に私は座っていました)

 

右手で天を指し左手で地を指している姿が、お釈迦様の生まれた時の姿、誕生仏です。

 

お釈迦様は、ルンビニー園という花園で、摩耶夫人の右脇からお生まれになったとき、その直後に七歩歩いて、右手で天を指し、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と言いました。

 

脇から生まれたんかい!いきなり七歩も歩いたんかい!

というツッコミところはありますが、お釈迦様のスゴさを表現しているのでしょう。^^

そして天上天下唯我独尊」

この言葉、よく「自分が一番偉い」と思っている人のことを「唯我独尊だからね」とか陰で言ってませんか。(すみません。私は昔言ってたことがあります)

「この世で唯だ我独りが尊い」という解釈からでしょうが、お釈迦様が自分のことだけを「尊い」と言ったというのは間違いです。

 

生まれてきたものは皆、ただひとり尊いのです。

誰と比べることもなく、天にも地にも自分一人、その自分が尊いのです。

お釈迦さまは「すべての人は仏性を持つが故に尊い」とも言っています。

 

その尊い自分をないがしろにしてはいけません。大切にしないといけません。

他人と比べて嘆くことはありません。

そう感じる灌仏会の朝です。

 

 

 

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 お釈迦さまは、人として生まれたこと、仏性を持つことは、

「大海の底にいる一匹の目の見えない亀(盲亀)が、百年に一度だけ海上に浮かび上がり、そのとき、海上を漂っていた流木(浮木)のたった一つの穴に頭を突っ込むこと」

くらい「有難い」こととだとも言っています。(盲亀浮木)

 

小冊子「花園」の漫画です。

お釈迦様が可愛いです。

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「お生まれになったばかりなのにご注釈まで!」にウケました。笑

 

 

 

 

 

 

占いと引き寄せと『陰騭録』

おはようございます。

タイトルにある『陰騭録』は「いんしつろく」と読みます。

安岡正篤先生の『易と人生哲学』に紹介されていたのですが、

中国明代のひと袁了凡(えん りょうぼん)が書いた本です。

フィクションではなく実話です。

もちろん私は原本は読んでいませんので、安岡先生の言葉もお借りしつつあらすじをご紹介します。(少々長くなります)

 

明の時代に袁了凡という少年がいました。
幼い頃に父を亡くし母の手で育てられ、医学の勉強をしておりました。
ある時、その少年のもとに不思議な老人がやってきて、
「お前は立派な役人になって出世する。試験にも合格する。医学の勉強はやめて官吏の勉強をしなさい」
当時の中国は科挙という厳しい試験に通らないと官吏には採用されませんでしたが、その老人は、私の言うとおりに勉強すれば何歳の時に予備試験を何番で合格し、本試験は何番で合格する、と断言し、そしてどういう出世をして、何歳で寿命が尽きて、気の毒だけれど子どもには恵まれない、など次々に予言しました。
それを聞いて感動した袁少年は、老人が言うとおりにしたところ、不思議に予言通りに合格し、その後もことごとく予言通りになりました。
そこで袁了凡は「なるほど。私の人生はあの予言の通りになるに違いない。人間には運命というものがあり、自分の一生は決まっている」と考え、若くして運命論者になり、一種の諦め、あるいは悟りの境地に達しました。

あるとき、雲谷という禅師が青年となった袁了凡を見て、、
「その若さで迷いもなく人間ができている。いったいどんな修業を積んだのか」と聞いたところ、袁了凡は、
「特別に修業はしておりませんが」と、少年時代に不思議な老人に予言されたことがことごとく当たり、自分の運命はもう決まっているのだと達観していることを答えました。

すると雲谷禅師は突然大きな声で笑って、
「なんだ。諦めていたのか。それでは、昔から偉人聖人は何のために学問修行をしたのか。自分の運命は自分で作っていくのであって、学問修行とはそれによって人間が人間を作っていくことなのだ」
そうそうたる人々の例をあげ、学問修行し徳を積むことで運命は変えられることを説きました。
袁青年は大変反省して、改めて学問修行に努めたところそれからは、今まで何一つ外れなかった予言がことごとく外れるようになりました。
53歳で死ぬと言われた袁了凡は74歳まで生き、できないといわれた子どもも授かりました。

 

以上です。

安岡先生はこの話から、運命には「宿命」と「立命」があり、生まれたときに授かった宿命も、自分の生き方「立命」で変わっていくのだと説かれています。

私は、それと同時に、袁了凡の「引き寄せ力」というのに感じ入りました。

だってそうでしょう。

老人に「お前はこうなる」と言われたら、それを信じてその通りにして、その後、禅師に「いや、こうもできる」と言われたら、よりよい人生を信じて引き寄せたのです。

 

私はここに占いの本質を見ます。

 

「占いが良く当たる」という人、当てた占い師の力がすごいのではなく、引き寄せたあなたの力です。

私も、何人かのお客様に「すごく当たりました」「その通りになりました」と言われることがあります。

そして、そのお客様が「この先生、すごくよく当たるんだよ」と、お友達を連れてきてくれることがあります。

その時は、「占うのはあくまで今の運気です。結果を引き寄せるのは自分です」

と言うようにしています。

何か、外れたときの逃げのような感じですけど。笑

だって、本当ですから。

 

「占いでは良いことだけを信じる」という人は、ある意味良い選択をしています。

困った例は、「占いで今年は良くないと言われた」と、ずっと「悪い悪い」と思い込んで、本当に悪い運を引き寄せる方です。

「天中殺だからこの2年間は何もするなと言われた」と、働きに出ず家に引きこもっている方です。

 

前回の「算命学」でも言いましたが、私は天中殺の年のほうがむしろ調子いいです。

http://misuzukaiun.hatenablog.com/entry/2019/03/28/074803

 

最初に意識した天中殺は18歳の時でしたが、受験は第一志望の大学に入れましたし、友達もたくさん出来て、それまでと全く違う人生のステージに移れました。

2回目の天中殺の時期は会社で管理職登用試験があり、同期でひとりだけ受かりました。自慢ぽくてすみません。しかしその後、運気どん底でひどい目に合っています。天中殺は開けていましたけど。

 

それ以来、私にとっての天中殺は「1ランク上に行ける年」だけど「謙虚に正しいことをしないと天に見放されて酷いことになるよ」という年だと思っています。

 

どんな占いも、生まれたときの日時や場所でいったん決められる宿命や、今現在身についている運です。

それを知った上で、学んだり、徳を積んだり、気をつけて進むことで、宿命とは違う運を引き寄せることができます。

今年、坎宮入りしている四緑木星の人、四緑の人は本来「自由に動く風」です。

今年は動かないほうが良いとか、足元を固めてじっとしている時期だとか言われても、それで本当にいいのかよく考えて。

坎宮入りしているときは「無理はしない」「疲れやすいからリラックスして健康には気をつける」「思い違いもあるから大きな決断は後回し」「一歩ずつ丁寧に」を心がければ、動いても良いですよ。(と、私は思います)

運は、停滞しているところには来ません。

 

 

 

易と人生哲学 (致知選書)

易と人生哲学 (致知選書)

 

 

 

 

 

 

 

 

新元号「令和」 と質問の回答

元号が発表されましたね。
令和。

令というのは、「命令」とか「辞令」など、上から下への厳しいイメージがありますが、
もともとは「神のお告げ」
人がひざまずいて神意を聞くことを意味したそうです。

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今朝ほど「ココナラ」のお客様から質問をいただいたので、それにお答えします。

「神社が好きで、出先でよく立ち寄るのですが、
たまに、帰り道やその日のうちに、とてもいいことが起きることがあるのです。
相性がいい(土系、風系)とかでしょうか。方角が関係あるのでしょうか」


土系や風系などで相性の良い神社を紹介するサイトは、私も見たことがあります。
ちなみに私は「水系」でした。

が、それで見ると、
産土神としている大國魂神社も、あれだけ「行ってきた!良かった!」と大騒ぎした高野山金剛峯寺も、相性が悪い神社仏閣になっていました。ガビン。笑
(すみません。他所のサイトについてはコメントすべきではありませんね)

私自身は、行って「ここは気持ちがいいなあ」と思えた神社は、すべて相性の良い神社です。


これはあくまで私の考えなので、これが正解だとか言いませんが、人はみんな宇宙(天)と結びついています。
その宇宙からのご加護やメッセージを受け取りやすい人が運の良い人で、もちろん受け取りにくい人もいます。
同じ人でも、受け取りやすいとき、受け取れないとき、あると思います。
振り返ってみて、30代の一時期の私は「受け取れない人」になっていたと思います。

さて、そんな宇宙からのご加護やメッセージを受け取りやすい場所、宇宙とつながりの強い場所、それが神社です。


これは、前々回の「直感」の話と通じますが、神社に行くことで宇宙アンテナが磨かれます。

だから、「神社参拝の帰り道やその日のうちにとてもいいことが起きる」というのは不思議でも何でもありません。
「その日のうちに」というのは、よほどその神社でつながった宇宙(天・神様)が「この子をハッピーにしたい」と思ってくれたんでしょうね。^^


その日のうちでなくても、10日後でも半年後でも10年後でも、ご加護をいただけることがあります。
宇宙の時間は人間の時間とは違うので、すぐに叶わなくても「あの神社は相性が悪い」とか思わないでください。

(ただ、行って嫌な気持ちになったところには、もう行かなくてもいいと思います)

吉方位では良い気を取り入れていますから、宇宙とのつながりをより強くバックアップしてもらえます。
なので、意識して吉方位の神社仏閣に行くことは大賛成です。
そして、悪い方位だとしても、神社仏閣に行くと凶意を抑えていただけます。
「マイルールで伊勢神宮高野山はいつ行っても良い場所」と私が日ごろ言っているのはそのためです。

凶方位にわざわざ行くことはないと思いますが、もしやむなく凶方位に行ったときは、「吉方位の開運アクションと逆をする」と、温泉に入らない、土地のものは食べない、など言っていますが、神社参拝は行ったほうが良いです。

 

皆さま、令和元年の旅行計画は立てられましたか。
ぜひ良い方位に行って、たくさん宇宙とつながって、よい「令」を受け取ってくださいね。