高野山東京別院で「宝来」を作ってきました。
2時間で3枚。
これがなんだかわからなかったのですが「たま」なのだそうです。仏様が手に持っている宝珠。
上がメラメラしているのは「炎」なのだそう。
そしてこれは「壽」
真ん中の棒がやたら太い気がしますが原紙がこう書かれていたのです。本当です。
そして今年の干支のネズミ。これが一番気合入りました。特に目の部分ね。
「宝来」については高野町のホームページで詳しく書かれています。
http://www.town.koya.wakayama.jp/sangyo/other/3689.html
↑これを見る限り、私の「たま」と「壽」は見本通りだと言えるでしょう。
そして午後から「雅楽演奏会」があったのですが、ここでひとつ気づきがありました。
舞楽の場面で、最前列に並んだ人たち(たちと言っても私の前の三人ですが)がそろって携帯で写真を撮りはじめたのです。
シャッター音が気になるだけでなく、カメラを構えた肩、腕、大画面スマホで、舞台がほとんど見えません。
よほど背中をトントンしてやめてもらおうかと思いましたが、弘法大師様の前でそれをするのもはばかられて我慢しました。
そして並んでシャッター音を響かせている女性二人と男性一人の背中を見ながら思いました。
この人たちは、自分が後ろの人に迷惑をかけていることに気づいていない。
だって自分たちは最前列だから。
目の前にスマホを構えている人がいたら「腕も肩も上がって後ろの人の視界を遮るなあ」と気づいたでしょう。
でも、分からないし、想像もできないから、無意識に迷惑をかけている。
こういうことは私にもあると思います。いや、ある。
「想像力」って大事だなと思いました。
これが今日、弘法大師様が教えてくれたことです。
ありがたや。ありがたや。南無大師遍照金剛。