おはようございます。
タイトルにある『陰騭録』は「いんしつろく」と読みます。
安岡正篤先生の『易と人生哲学』に紹介されていたのですが、
中国明代のひと袁了凡(えん りょうぼん)が書いた本です。
フィクションではなく実話です。
もちろん私は原本は読んでいませんので、安岡先生の言葉もお借りしつつあらすじをご紹介します。(少々長くなります)
明の時代に袁了凡という少年がいました。
幼い頃に父を亡くし母の手で育てられ、医学の勉強をしておりました。
ある時、その少年のもとに不思議な老人がやってきて、
「お前は立派な役人になって出世する。試験にも合格する。医学の勉強はやめて官吏の勉強をしなさい」
当時の中国は科挙という厳しい試験に通らないと官吏には採用されませんでしたが、その老人は、私の言うとおりに勉強すれば何歳の時に予備試験を何番で合格し、本試験は何番で合格する、と断言し、そしてどういう出世をして、何歳で寿命が尽きて、気の毒だけれど子どもには恵まれない、など次々に予言しました。
それを聞いて感動した袁少年は、老人が言うとおりにしたところ、不思議に予言通りに合格し、その後もことごとく予言通りになりました。
そこで袁了凡は「なるほど。私の人生はあの予言の通りになるに違いない。人間には運命というものがあり、自分の一生は決まっている」と考え、若くして運命論者になり、一種の諦め、あるいは悟りの境地に達しました。
あるとき、雲谷という禅師が青年となった袁了凡を見て、、
「その若さで迷いもなく人間ができている。いったいどんな修業を積んだのか」と聞いたところ、袁了凡は、
「特別に修業はしておりませんが」と、少年時代に不思議な老人に予言されたことがことごとく当たり、自分の運命はもう決まっているのだと達観していることを答えました。
すると雲谷禅師は突然大きな声で笑って、
「なんだ。諦めていたのか。それでは、昔から偉人聖人は何のために学問修行をしたのか。自分の運命は自分で作っていくのであって、学問修行とはそれによって人間が人間を作っていくことなのだ」
そうそうたる人々の例をあげ、学問修行し徳を積むことで運命は変えられることを説きました。
袁青年は大変反省して、改めて学問修行に努めたところそれからは、今まで何一つ外れなかった予言がことごとく外れるようになりました。
53歳で死ぬと言われた袁了凡は74歳まで生き、できないといわれた子どもも授かりました。
以上です。
安岡先生はこの話から、運命には「宿命」と「立命」があり、生まれたときに授かった宿命も、自分の生き方「立命」で変わっていくのだと説かれています。
私は、それと同時に、袁了凡の「引き寄せ力」というのに感じ入りました。
だってそうでしょう。
老人に「お前はこうなる」と言われたら、それを信じてその通りにして、その後、禅師に「いや、こうもできる」と言われたら、よりよい人生を信じて引き寄せたのです。
私はここに占いの本質を見ます。
「占いが良く当たる」という人、当てた占い師の力がすごいのではなく、引き寄せたあなたの力です。
私も、何人かのお客様に「すごく当たりました」「その通りになりました」と言われることがあります。
そして、そのお客様が「この先生、すごくよく当たるんだよ」と、お友達を連れてきてくれることがあります。
その時は、「占うのはあくまで今の運気です。結果を引き寄せるのは自分です」
と言うようにしています。
何か、外れたときの逃げのような感じですけど。笑
だって、本当ですから。
「占いでは良いことだけを信じる」という人は、ある意味良い選択をしています。
困った例は、「占いで今年は良くないと言われた」と、ずっと「悪い悪い」と思い込んで、本当に悪い運を引き寄せる方です。
「天中殺だからこの2年間は何もするなと言われた」と、働きに出ず家に引きこもっている方です。
前回の「算命学」でも言いましたが、私は天中殺の年のほうがむしろ調子いいです。
http://misuzukaiun.hatenablog.com/entry/2019/03/28/074803
最初に意識した天中殺は18歳の時でしたが、受験は第一志望の大学に入れましたし、友達もたくさん出来て、それまでと全く違う人生のステージに移れました。
2回目の天中殺の時期は会社で管理職登用試験があり、同期でひとりだけ受かりました。自慢ぽくてすみません。しかしその後、運気どん底でひどい目に合っています。天中殺は開けていましたけど。
それ以来、私にとっての天中殺は「1ランク上に行ける年」だけど「謙虚に正しいことをしないと天に見放されて酷いことになるよ」という年だと思っています。
どんな占いも、生まれたときの日時や場所でいったん決められる宿命や、今現在身についている運です。
それを知った上で、学んだり、徳を積んだり、気をつけて進むことで、宿命とは違う運を引き寄せることができます。
今年、坎宮入りしている四緑木星の人、四緑の人は本来「自由に動く風」です。
今年は動かないほうが良いとか、足元を固めてじっとしている時期だとか言われても、それで本当にいいのかよく考えて。
坎宮入りしているときは「無理はしない」「疲れやすいからリラックスして健康には気をつける」「思い違いもあるから大きな決断は後回し」「一歩ずつ丁寧に」を心がければ、動いても良いですよ。(と、私は思います)
運は、停滞しているところには来ません。